大学2回生になった5月ごろ、妊娠していることが分かります。
だいぶ学校に慣れて、ますます勉強に頑張るぞ!と意気込んでいた時期。
私は生理が不定期で、2か月こないことよくあったので、そのときも「遅れているだけだろう」と思っていました。
2か月、3か月、4か月になろうとしてころ、さすがにおかしい。人生初の妊娠検査薬を購入。まさかまさかの妊娠でした。
産む?産まない?
まず初めに思ったのは「学校どうしよう、、、」
予備校を含め、私にとっては沢山のお金をかけて入った必死の学校です。そんな簡単に辞めるわけにもいきません。
じゃぁ「赤ちゃんをあきらめる?」当時29歳。
「いつかは結婚したい」「いつかは子供が欲しい」とはほんのりですが、ずっと思っていました。
でも、こんな状況で?!どうしよう。
その時の「産みたい気持ち」については、こちらでも少し書いています。

こちらでも書いていますが、出産後は復学するつもりで休学しました。
夏休み入るまで、大きくなったお腹で学校にギリギリまで通い、その後、10月末に無事に息子を出産しました。
約5か月後の4月からの復学の予定です。学校側ともそのような手続きを行なっていました。
育児の大変さ
想像以上に大変な育児に、心身ともに疲弊しきっていました。
出産という大きな喜びはあるものの、避けた傷口も痛い。寝れない、ずっと泣いている。どうしていいのか分からない。
「小さな命を守る」という「大きな責任感」ものしかかってきます。
今まで自分の「やりいこと」を「やりたい」ように時間もお金も使ってきました。
約10か月という妊娠期間を経ても、産んだからと言って、そうすぐに母親にはなれません。
復学に向けて焦る気持ちと、上手くいかない育児。
そのうち周りからも「学校を辞めて育児に専念した方がいいのではないか」と言われ始めます。
協力を得れなかった理由
育児の大変さから、私自身も「復学できるのだろうか」と迷いが出てきます。
それと同時に「この小さな命を私が守らなければならない」という使命のような気持ち。
そうこうしているうちに、学校に行ってる間、預かってくれる予定だった母が「腰が痛い」と言い出し、椎間板ヘルニアが分かります。
母の協力を得ることが出来なくなってしまい、ならば「保育園に預けること」を模索しますが、夫が猛反対。
当時は「小さい子どもを預けるべきではない」と断固反対していましたが、後になって考えるとそれも真意かは分かりません。
その後のいろいろな夫の発言から「俺も仕事が大変なのに、これ以上負担をかけないでくれ。協力できない」と心の底では思っていたのかもしれません。
大学へ復学することを了承しての結婚、出産だったはずなのですが、、、
とは言え、周りを押し切って「復学する」と言い切れなかった自分の弱さが一番の原因です。
そして、復学を断念し退学へと至りましたが、自分の不甲斐なさに悔しくて泣きました。その後も随分と引きずりました。それこそ何10年近くも。
もちろん、息子を産んだことを後悔はしていませんが、もう少し復学できる方法を模索し、強い意志で取組んだら良かったのではないかと思います。
そう思うのは、息子を産んだあと、独学で勉強し保育士の免許を習得したり、簿記を取ったりもしましたが、それで自分の中で帳消しになるかと言えば、そうでもなかったからです。
また考え方を変えて、社会人から一念発起して大学に通って、結果、中退になってしまったけど、それでも「やらなかったよりも、やってよかった!」
そう思えれば良かったのですが、残ったのは「中途半端な自分」と「奨学金の返済」
特に、上手くいかないことや困難に遭遇したときに、この選択や、この気持ちがムクムクっと湧き上がってくるのです。
ゆきの話からは随分と逸れてしまいました。とりあえず、わたくし「こん」の話はここで一旦終わりにしたいと思います。次回からは「ゆきの幼少期(未就園児・幼稚園)」でのようすについて綴っていきます。


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